エスビー食品がタイに初の海外工場を建設します。狙いはASEAN10カ国+オセアニアへの輸出拠点の確保です。ただし、本当の課題は工場の「先」にあります。

「ASEAN進出を検討しているが、現地の流通がどうなっているのかわからない」 「工場は建てられそうだが、その先の販売チャネルが見えない」

食品メーカーの海外事業担当者から、こうした声をよく聞きます。

なぜ今なのか。なぜタイなのか。工場ができた後の「本当の課題」は何なのか。自分がふだん海外企業のリストアップをしている中で感じたことを、少し書いてみます。

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エスビー食品は海外売上比率を10%から40%にする

エスビー食品は2043年までに海外売上比率を40%にする長期目標を掲げています。現在の10%から4倍にする計画です。

2025年3月期の連結売上高は約1,235億円。そのうち海外売上は約10%にとどまります。

2023年に発表した中期経営計画では、こんな目標を掲げています。

2043年に海外売上高比率40%超

海外売上を4倍にするという計画です。この目標の第一歩が、タイの新工場になります。


競合のハウス食品はすでにASEANで動いている

ハウス食品グループはすでにASEANにカレールウ工場を持ち、海外売上比率25%を達成しています。エスビー食品の2.5倍です。

ハウス食品グループは中国に3拠点、ベトナムに1拠点の海外工場を運営しています。海外売上高比率は約25%(2025年3月期)。

さらに2022年11月、ハウス食品はインドネシアの調味料大手PT Sasa Intiと合弁会社を設立しました。2024年2月にはハラル対応の日本式カレーを発売しています。商品名は**「Sasa House KARI JEPANG」**。Sasa Intiが持つインドネシア国内の流通網を活用し、現地の棚に並べる戦略です。

2025年9月には、インドネシアでカレールウ新工場の建設に着工しました。

  • 投資額 — 約3,408億ルピア(約32億円)
  • 生産能力 — 現行の約7倍にあたる年間約3,000トン
  • 稼働目標 — 2027年

つまり、ハウス食品はASEANで「作る」と「売る」の両方を回し始めています。

一方、エスビー食品は海外工場ゼロの状態から、2026年にようやく最初の1つを建て始めました。この差をどう埋めるのか。それが「なぜ今なのか」の裏にある、もう1つの答えです。


なぜタイなのか

タイはASEAN域内への輸出拠点として、原材料調達・関税・ハラル認証の3つの面で有利です。

プレスリリースには「東南アジア・オセアニア地域は経済成長が見込める」「日本食への関心が高い」と書いてあります。ただ、もう少し具体的な理由がありそうです。

1. AFTA(ASEAN自由貿易協定)で域内関税がほぼゼロ

AFTAとは、ASEAN加盟10カ国間の貿易にかかる関税を引き下げる協定です。

タイで作った製品をインドネシアやマレーシアに輸出する場合、ほとんどの品目で関税が0〜5%に収まります。日本から輸出するよりはるかにコストが低くなります。

つまりタイの工場は「タイ向け」ではありません。ASEAN全体+オセアニアへの供給拠点として設計されています。

2. タイの食品製造インフラが整っている

タイの食品製造業は世界14位の規模です(国連工業開発機関 UNIDO INDSTAT、付加価値額ベース、約4兆円)。

原材料の調達環境も充実しています。

  • パーム油の生産は世界3位
  • 砂糖の輸出は世界2位
  • タピオカ澱粉は世界最大の生産国

即席カレーに必要な原材料(小麦粉、パーム油、砂糖、澱粉、スパイス)のほとんどをタイ国内で調達できます。

3. ハラル認証のインフラがある

ハラル認証とは、イスラム教の戒律に沿った食品であることを示す認証です。

タイの名門チュラロンコン大学のハラルサイエンスセンターは、ハラル品質管理システム(HAL-Q)を開発しています。このシステムを導入した工場は770以上あります(2022年時点)。

ハラル対応のサプライチェーンが、すでにできあがっている国です。


ハラル認証でインドネシア2.3億人の市場を狙う

東南アジアには世界最大のムスリム市場があり、ハラル認証なしではインドネシア・マレーシアの棚に並べません。

プレスリリースには「ハラル認証に対応した即席カレー製品」と明記されています。

  • インドネシア — ムスリム人口 約2.3億人。世界最多
  • マレーシア — ムスリム人口 約2,000万人。ハラル認証基準が世界で最も厳格
  • フィリピン南部 — ムスリム人口 約600万人。ミンダナオ島を中心に集中

日本で販売しているゴールデンカレーには、豚由来のゼラチンが使われています。そのままではムスリムの方は食べられません。

ただし、すでにタイ市場では対応が始まっています。

実際にタイのスーパーで売られているS&Bの「とろけるカレー」を手に取ってみました。

Big Cで販売されているS&B「とろけるカレー」。右上に「NO MEAT CONTAINED」の表記がある(2026年2月、筆者撮影)

パッケージの右上に**「NO MEAT CONTAINED」**と書かれています。裏面の原材料を見ると、ゼラチンは入っていません。ゴールデンカレーとは別レシピです。

裏面の原材料表示。ゼラチンの記載はない。「MADE IN JAPAN」の表記(2026年2月、筆者撮影)

ポイントは、パッケージに**「MADE IN JAPAN」**と書いてあること。現時点では日本の工場で作り、タイに輸出しています。タイの新工場が稼働すれば、これが「MADE IN THAILAND」に変わります。

タイ工場でハラル認証を取得した製品を量産できれば、インドネシア2.3億人、マレーシア2,000万人の市場が開けます。

ちなみにエスビー食品は、台湾向けに「にんにく・タマネギ不使用」のゴールデンカレーも販売しています。台湾には「素食」と呼ばれるベジタリアン文化が根付いており、人口の約10〜13%が実践しています。仏教に由来する五葷(ごくん)の考え方で、にんにくやネギ類を避ける食文化です。

市場ごとにレシピを変えることには慣れている会社です。


問題は「誰がどこで売るか」

エスビー食品は製造会社であり、各国での販売は現地ディストリビューターに依存しています。工場は「作る力」しか解決しません。

工場が建ちます。原材料はタイで調達できます。ハラル認証も取れます。ここまでは「製造の話」です。

でも、製品は棚に並ばなければ売れません。

エスビー食品の現在の海外販売体制はこうなっています。

ステップ担当
日本の工場で生産エスビー食品(日本本社)
東南アジア・オセアニアの営業統括S&B Foods Singapore(少人数の営業オフィス)
各国での販売現地ディストリビューター(販売代理店)
小売店の棚に並ぶディストリビューター経由

エスビー食品は「作る人」であって「売る人」ではありません。 各国での販売は、現地のディストリビューターに任せている状態です。

これは多くの日本の食品メーカーに共通する構造ではないでしょうか。


タイの流通構造 — 棚を握っているのは誰か

タイの食品小売市場はCPグループ、TCCグループ、セントラルグループの3つの財閥が支配しています。

タイで食品を売るなら、避けて通れない存在があります。

財閥主要チェーン特徴
CPグループ(タイ最大)セブンイレブン約14,000店、Makro(マクロ)、Lotus’s約2,000店コンビニ・卸売・大型スーパーの3業態を支配
TCCグループBig C(BJC経由で運営)ハイパーマーケットの棚を握る
セントラルグループTops Market、Central Food Hall高所得者層向け

特にCPグループの支配力は圧倒的です。2020年に英テスコのタイ事業を買収し、コンビニ(セブンイレブン)・卸売(Makro)・大型スーパー(Lotus’s)の3業態すべてを傘下に収めました。

棚に何を置くかを決めるのはメーカーではなく、ディストリビューター。 どんなに良い製品でも、ディストリビューターを通さなければ棚に並びません。

実際にタイのスーパーの棚を見てみましょう。

Big Cの日本食コーナー。ハウスのバーモントカレー(中央)とS&Bのゴールデンカレー(右下)が並ぶ。すべて日本からの輸入品(2026年2月、筆者撮影)

これはタイのスーパーの「輸入食品コーナー」です。S&Bのゴールデンカレーとハウスのバーモントカレーが隣り合っています。

  • ハウス食品の方が棚面積が広い。 バーモントカレー(147バーツ)が5〜6フェイス、S&Bゴールデンカレー(110バーツ)は3〜4フェイス
  • 日本式カレーは「輸入食品」扱い。 タイカレーの棚ではなく、キッコーマンの醤油や海底捞(ハイディラオ)の火鍋スープと同じコーナーに配置
  • 価格帯は110〜184バーツ(約450〜750円)。 タイのカレーペースト(20〜40バーツ)と比べると3〜5倍

タイの新工場が稼働すれば、輸送コストが下がり、価格競争力が上がります。ただし、棚に並べてもらえるかどうかは、ディストリビューターとの関係次第です。


ASEAN5カ国に売るなら、5つの別々の流通経路が要る

タイの工場は1つでも、売る仕組みはASEAN各国ごとに別々に構築する必要があります。ハラル認証も国ごとに制度が異なります。

タイの工場で作ったカレーをASEAN各国に輸出する場合、各国にはそれぞれ別のディストリビューターが必要です。

ハラル認証機関主要小売
タイCICOT(タイ中央イスラム委員会)セブンイレブン、Big C、Tops
インドネシアBPJPH(ハラル製品保証実施庁)Indomaret・Alfamart、Super Indo
マレーシアJAKIM(マレーシア・イスラム開発庁)イオン、Giant、99 Speedmart
フィリピンIDCP(イスラム布教評議会)SM Supermarket、Robinsons
ベトナムハラル認証制度なしWinmart、Co.opmart、Bach Hoa Xanh

タイでハラル認証を取っても、インドネシアやマレーシアでは別の機関で認証を取り直す必要があります。

つまり、工場は1つでも、売る仕組みは5つ要ります。


日本式カレーは東南アジアで売れるのか

日本式カレーのグローバル市場は2024年時点で約12.4億ドル。2035年には25億ドルに成長する見込みです(年平均成長率6.6%)。

正直に書きます。

自分はタイに住んで8年になりますが、妻(タイ人)は日本のカレーが好きではありません。日本のカレー屋でバイトをしていたことがあるのですが、好きにはなれなかったようです。

日本式カレーは、甘口〜中辛でとろみがあり、ごはんにかけて食べます。一方、タイカレーはココナッツベースでスパイシー。サラサラしています。インドネシアのレンダンはドライカレー系。別物です。

東南アジアで日本式カレーを食べるのは、主に日本食レストラン。 家庭で日本式カレーを作る文化はほとんどありません。

ただ、市場は伸びています。WiseGuy Reportsの調査によると、特に東南アジアは「新興市場として大きな成長ポテンシャルがある」とされています。

エスビー食品の賭けは、寿司→ラーメンと続いた日本食ブームの次はカレー、という読みでしょう。


工場を建ててからが本番

エスビー食品のタイ新工場は製造面では合理的な判断ですが、「売る力」の構築はこれからです。

原材料はタイで調達できます。AFTAを使えばASEAN域内に低コストで輸出できます。ハラル対応のインフラもタイなら整っています。

しかし、工場は「作る力」しか解決しません。

各国のディストリビューター網の構築。ハラル認証の国別対応。現地消費者への認知獲得。これらはすべて、これから取り組まなければなりません。

海外売上比率10%の会社が40%を目指す道のりは、工場を建てた後からが本番です。


【出典】


調査者について

木下隆志 — 株式会社タイトンマイ代表

  • 大阪大学大学院修了
  • シャープ株式会社の調達部門に8年間勤務
  • うち2年間はタイ工場に駐在、調達課長として現地スタッフのマネジメントを担当
  • 日本人管理職は自分一人の環境で、英語・タイ語での調達実務を経験
  • 独立後、80カ国以上・10,000社以上の企業調査を実施

https://taitonmai.co.jp/knowledge/20260211_01.html